鯉のぼり
- 2021.04.19
- その他
晴れ渡った爽やかな空に鯉のぼりがそよぐ季節になりました。
鯉のぼりは、端午の節句に男の子の健やかな成長を願う親の想いが込められたものです。
鯉のぼりをよくよく観察してみると、それぞれがなんともカラフルで細かな模様が描かれていることに気づきます。鱗は立体的に見えるグラデーションで、目を描く色彩はコントラストが見事に美しく、力強い生命力を感じます。水の中を泳いでいるかのような滑らかな流線とキリっとした直線の相互作用でとても魅力的に映ります。
力いっぱい空を泳ぐ姿を眺めていると、自然と清々しい気持ちが満ち溢れてきますね。
どうして鯉が飾られるようになったかというと、鯉のぼりの起源は中国の「登竜伝説」にあります。黄河の激流が連なった「竜門」という滝を登り切った魚は竜になれるという伝説で、数ある魚のうちで鯉のみが登り切ったという話から、男の子の健やかな立身出世を願って鯉が飾られるようになりました。実際に、鯉は澄んだ川だけでなく汚れた沼や池でも立派に生きていける力を持っており、もともと生命力の強い縁起の良い生き物として扱われてきました。どんな環境でも健やかにたくましく生きていけるようにという親の願いが投影されているのです。
現在の鯉のぼりは、一番上に五色の吹き流しが付けられていて、その下に真鯉、緋鯉、子鯉の順で並びます。三匹の鯉で家族を表しますが、その下に黄色や緑の子鯉を加えることもあります。
吹き流しは青・赤・黄・白・黒の五色が使われていて、、江戸時代中期頃の武家の風習が元になっています。神様や周囲に男の子が生まれたことを報告する意味や、五行や神道、仏教の教えから災害や病から子どもを守り健やかな成長を願う意味があり、さらに吹き流しの上に風車をつけることで邪気を払い魔除けをする意味があったようです。この風習に習って江戸時代に入ると庶民文化としての鯉のぼりを掲げるようになりました。
江戸時代の鯉のぼりはというと、黒一色の真鯉のみでした。歌川広重の「名所江戸百景」に描かれた「水道橋駿河台」の鯉のぼりは確かに黒く、いかにも強そうな躍動感で空を泳いでいます。この黒い鯉はお父さんではなく子どもを意味していましたが、明治になると命を生み出すものの象徴として赤の緋鯉が加えられて、黒がお父さん、赤がお母さんを意味するようになりました。さらに昭和に入ると青の子鯉が加わり、子どもが増えるごとにカラフルな子鯉が増やされることが多いようです。最近では女の子が生まれるとピンクの鯉のぼりを飾ることがあるようで、とても可愛らしい微笑ましい光景になりますね。このようにイメージで色分けすることもおもしろく感じますし、やはり色とイメージの関係性については興味深いことだと思います。
歌川広重が鯉のぼりを描いたように、鯉のぼりそのものがアートな魅力を持っていると思います。古来の文化を象徴しつつ、なんとも目を惹くカラフルな色調。これほどまで力強い輪郭に大胆な色遣いのデザインは芸術としても美しく、現代にまで受け継がれている事にも納得がいきます。
現在も鯉のぼりはモチーフとして雑貨に扱われたり、イラストとして描かれたり、特に端午の節句の時期には身近なところでもよく見かけます。鯉のぼり自体も古来の鯉のぼりを基調として様々なデザインが造られていて、鯉のぼりのアートとしての側面はまだまだ広がっていくのではないでしょうか。
端午の節句、様々な想いを込めて、お気に入りの鯉のぼりグッズを見つけてみたり、自分だけの鯉のぼりを描いてみるのも新鮮な体験かもしれませんね。
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